人見知り解消 目標達成コラムcolumn

どんな人見知りでしたか?

 今、大人になって「人見知りだよ。」と言うと、「そんなふうには見えないね。」

と言われます。でも、子供の時は、人見知りに見られていたのではないかと思います。

知らない人が来ると親の後ろに隠れてましたね。家にお客さんが来ると、2階に上が

って自分の部屋に行くとか、よくありました。確か、3才か4才かな…。

 でもね、「なりきり」が得意で、新幹線の中で歌いながら歩いていました。おもちゃ

のマイクを持っていて、小さい頃から歌は好きだったんですね。マイクを持ったら歌える

んですよ。新幹線の通路でマイクを持って歌って歩くわけです。おじさんやおばさんが聞

いていて、「ぼく、上手だね〜」ってほめてもらいました(笑)

 あなたも人見知りさんですか?今も、困っていますか?

 歌以外にもあります。

家が製紙工場の中にあったんです。製紙工場があって、その中に事務所がありました。

事務所の隣に家があって、管理をする人のための家だったんです。父親がそこの製紙

工場の管理の仕事をしていたので、何かあったときにすぐ行けるようにそこに住んで

いました。製紙工場の中にいるような感じでした。ですから、友達も気軽に来られな

くて、家に帰ったらよく一人遊びをしていました。兄姉はいるんですけれども、年が

離れていたので、同じレベルで遊ぶことができないんですね。それで、小さかった自

分は、壁にボールを投げてあてて遊んでいたりとか、ローラースケートをしたりとか、

動物と遊んだりしていました。

野球が好きだったので、野球の実況中継みたいなことをしながらボールを壁にあてる

んです。

「ピッチャー、セットポジションに入りました。さあ、ピッチャーどうか。第一球

投げました。打ったあ。」

とか言ってボールをあてて、転がったのを

「あっ、サードが取った。サードが取ってセカンドに送球。セカンドが一塁に送球して

アウト。ダブルプレー。」

などと言って一人で楽しんで、それを1回の表から9回の裏まで、1試合を終わらせた

りしていました。そんな風にして、何かになりきって遊んでいました。

それから、家にいろいろな動物を飼っていました。ネコは1匹か2匹だったんです。

けれども、その中の「ミー」を連れて、工場の中は仕事をしているので行けませんが、

事務所の裏とか工場の周りにある田んぼとかに行ったりしてミーと遊んだり、ミー自体

を研究材料にしたりして遊んでいましたね。動物が好きでした。

 
 学校へ行くとどうだったかというと、人前で話すのが苦手で、先生が言っていること

は分かるんですけれども、下を向いてこんな感じではなかったけれども、手を挙げて

発表するのはドキドキするなあとか、分かっているけれどもドキドキするからなるべ

くなら言わない方がいい、言いたくないなという感じでした。積極的に発表する子が

いたらその子に任せるという感じだったかな。小学校は、そんな感じでした。

引っ越しを2回したんですけれども、新しい学校に行って、小学校4年の時と高校で

すね。全く違う所、地域に行ったんですけれども、全く違う新しい環境に行くと、と

たんに人見知りのスイッチが入るというか、とにかく周りと話ができなくなって一言

も話せないという感じです。まず、自分から話し掛けられないので、周りの人はどう

思っているのかなとか、自分のこの気持ちをどう言ったらいいのかとか、周りの人と

どうやって話したらいいのかとか。話せる人から見たらどんなことで悩んでいるんだ

ということになるのかもしれませんが、きっと人見知りの人なら分かるかと思います

が、周りが全然知らないと、何を言ったらいいのか不安で言えないんです。とりあえ

ず、にこにこしながら黙っているわけです。人から話しかけられたら、「うん」と

「そうだね。」とか言って一言返すくらいで、慣れるのにすごく時間が掛かります。

新しいクラスが1年間、4月から始まって3月までありますけど、だいたい本当に慣れ

て話が普通にできるようになるのが、4月から始まって、4、5、6、7、8、9、

10、11、12、1月ですね。3学期に入ると、何か調子がよくなってきた・・・となり

ます。そうすると、1、2、3月で終わってしまうので、それでクラスは終わり。また

4月になると新しい環境になるので、そこで、転校して2年目になれば、こんなに1月

まではかからないけれども、それにしても本当に新しい環境になると、慣れるまでに時

間が掛かって、その間がすごく大変だったことを覚えています。

子供の時にこんな人見知りだったよというお話でした。